エンディングノートに取り組んで(家族の声)#
松原真由美さん(72歳)/松原三恵さん(45歳)の母
話せないからこそ、私の意思を残したい。
親なき後もずっと同じように生きていければ。
三恵ちゃんはいぶきのパストラル(いぶきが運営するグループホーム)の1期生です。今から約10年ほど前、三恵ちゃんが35歳の頃にパストラルでの暮らしをスタートさせました。平日はパストラルで過ごし、週末は私と長女、そして長女の子どものいる家に帰ってくる。そんな生活をしています。人が大好きで、笑顔がかわいいムードメーカーなんですよ。
三恵ちゃんは生まれた時に「長くても4年の命」だとお医者さんに言われた子です。そんな子が8歳で舗装具をつけて歩けるようになり、学校にも通いました。いぶきさんに入ってからは体も丈夫で大きな病気もしていませんが、最近は階段を登るのがゆっくりになってきていて体が衰えてきているんだと感じます。
エンディングノートは以前から大事なものだという認識を持っていました。三恵ちゃんは喋ることができないので、私の意思だけでも残しておきたいと思っていたんです。ところが「親の気持ち」を言葉にしようと思うとペンが進まなくなってしまう。手続き的な事柄なら書けそうだと思っても、勉強会などで成年後見人の話を聞くと、私たちの想いと制度との間に深い溝があることが分かって頭を抱えてしまうこともあります。
エンディングノートを書くって本当に大変なことなんだと痛感しますが、勉強会や職員の方との話を通じていろいろな事が見えてくるというのが、このプロジェクトのいいところなんだろうなと思います。
職員の方と対話をしながら、三恵ちゃんのことをどれだけ大事にしてきたのかとか、どんなことが好きかとか、親にしか分からないちょっとした仕草のこととか、少しずつ綴っていきたいです。三恵ちゃんが、私や家族に見守られて生きている今と変わらず、「親なき後」もずっと同じように生きていってくれたらと思います。
吉田ひろ子さん(58歳)/吉田光佑さん(27歳)の母
歳をとってどこにも頼れるところがない…
そんな不安な心を整理するきっかけに
息子の光佑は関市の特別支援学校を卒業した19歳からいぶきでお世話になっており、今年で9年目になります。今は母である私と父親との3人暮らし。光佑には5つ上の兄と4つ上の姉がいて、2人ともすでに独立しています。
この先どうなるんだろうという不安はずっと持っていたのですが、ある時期に同居していた義両親の介護で体を壊してしまったことがあって。私も歳をとっていくし、光佑のこれからの暮らしをどうしようかなと悩んでいました。
パストラル(いぶきのグループホーム)への入所も希望していますが、人数的な枠が限られているので今すぐというのはなかなか難しいのが現状です。
そんな折にいぶきからエンディングノートプロジェクトの事を聞き、少しでも不安が解消されたらいいなと参加しました。正直、勉強会で色々な話を聞くたび現実を知るたびに不安になっていきます。
それでもこのプロジェクトに参加して良かったと思うのは、漠然とした恐ろしい不安が具体的な不安に変わったからです。そして何よりありがたかったのは、私がいなくなった後のことを一緒に考えてくれる人がいたこと。
我が子のことって、親にしか分からないこともあるでしょうし、親だからこそ見えていないこともきっとたくさんあって。私の知らない光佑のことを知っている職員の方と話していると発見がありますし、ひとりでは文章化するのが難しくてなかなか書けないことも、話すと言語化できます。
私の願いは、私たち親がいなくなってからも光佑が楽しく過ごせる場所で過ごして欲しいということ。まだまだ書ききれていないページもありますが、願いを込めてこれからも少しずつ書いていきたいと思います。